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多富洞の戦い(日本語:タブドンのたたかい、たふどうのたたかい、韓国語:多富洞戰鬪、、英語:)は、朝鮮戦争中の1950年8月に行われた国連軍及び朝鮮人民軍(以下人民軍)による戦闘。 == 経緯 == 頴江河畔の戦闘から離脱した韓国軍第1師団は尚州を経て後退し、2日から3日にかけて洛東里で渡河を終えた。 8月3日、第1師団は司令部を五常学校に置き、南から第15連隊、第11連隊、第12連隊を洛東江東岸に配備して防御を準備した〔。しかし防御正面は41キロに達し、支援砲兵は第17砲兵大隊の105ミリ榴弾砲12門とバズーカー砲9門、60ミリ迫撃砲28門、81ミリ迫撃砲21門、57ミリ対戦車砲2門に過ぎなかった〔。さらに洛東江を利用しての河川防御であったが、30年ぶりの空梅雨であったために渡河点が点々とできていた〔。 8月4日早朝から人民軍は渡河を始めて第1師団の右翼を圧迫した。日に日に戦線は後退した。白善燁准将は最終防御線を、アメリカ軍第1騎兵師団が担当する倭館北側303高地と谷を隔てた328高地に始まり、水岩山(519高地)-遊鶴山(839高地)-架山(920高地)北側に定めた。部隊は、328高地を中心とする正面幅3キロに第15連隊主力、水岩山-遊鶴山に第12連隊、尚州-大邱道から架山までに第11連隊(第15連隊第2大隊配属)を配置し、師団司令部を多富洞南側8キロの東明国民学校に置いた。第1師団の正面には、人民軍の第13師団、第15師団の全力、第105戦車師団主力に、あとから第1師団第14連隊と第3師団主力が追加され、3個師団強の戦力が集中した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多富洞の戦い (1950年8月)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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